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東京広島県人会

事務局便り

【「人生学」講義】第2回広島U-30応援セミナーより②

連載 ―「人生学」講義 第2回 ―
2017年11月22日(水)ひろしまブランドショップTAU3階で開催した第2回広島U-30応援セミナーの講義を連載でお届けいたします。

第2回目の講師は、一般財団法人機械システム振興協会会長・東京広島県人会副会長の児玉幸治氏(1934年生まれ。広島大学附属高等学校卒業、東京大学法学部卒業、通商産業省入省。同省事務次官、日本興業銀行顧問、商工組合中央金庫理事長、その他の役職を歴任)です。

「人生学」講義 第2回 児玉幸治氏 ②

疎開先から、2年ぐらいたって、広島に帰ろうということになりまして、ちょうど中学校に行く年齢だったわけですから、中学校の試験を受けようと思いました。この年から新制中学というのが始まったんですね。小学校に入るときは国民学校になりましたし、中学校に入ろうとしたら新制中学になりました。これは学区制度というのがあって、一定の地域に住んでいる人じゃないとその学校には入れないわけです。しばらくたったら広島に帰りたいと思ってますから、帰る前に広島の中学校の受験をしようと思ったんですけど、田舎に住所がありますと、広島の中学の試験は受けられなかったんですね。

唯一受けられる学校が、当時の名前でいえば高等師範の附属中学校。高等師範の附属中学校は東京と広島にあったんです。学区が全国区なんですね。どこにいても受験ができるという仕組みだったものですから、それを受けて、当時は気楽な時代ですから、受験をすることを決めてから受験勉強をしたんです。2月か3月に試験があったと思うんですけど、願書も田舎から自分が学校に持って行きまして、それから受験勉強をして、よく入ったものだなと思うんですが、当時はそういうところは気楽な時代でした。この高等師範の附属中学校というのが全国区で受けられるということを教えてくれたのが、私の向原小学校の担任の先生なんですが、その先生が私に教えてくれたのは、これも因縁なんですが、隣の村に大変な秀才がいまして、隣村の秀才を教えていた先生と私の担任の先生が大の仲良しで、向こうの秀才が広島の高等師範の附属を受けるというのを聞いたものですから、私の担任の先生が「そっちが受けるんなら、うちのクラスの子どもも受けさせるぞ」と言い出して、「お前受けろ」ということで受けたんですね。

もし受けていなければ、高田郡向原中学校にそのまま進学していたはずなんですね。私が二つ目に感謝しているのが、この小学校の担任の先生にアドバイスをされて高等師範の附属中学を受験したということで、やっぱり人生もう一つ分かれ目になったなあと思っております。

それから、高等学校から大学に行ったんですけど、大学時代には法学部におりました。これもある時、本郷に通学するために電車に乗っていましたら、隣に新品の背広ネクタイの若いお兄さんが立っていてですね、「きみ、どこの大学だ?」と聞かれて、「これこれで本郷の大学に行っています」と言ったら、「俺は通産省に今年入った。悪いことは言わない。通産省は非常にいいところだから、必ず通産省に来い」と言われましてね。

それまであまり意識したことはなかったんだけれども、それで本屋に行って就職ガイドみたいな本で省庁別の案内の本があるんですね。その中に通商産業省というのがありますから、それを読んでみましたら、非常に面白い役所だなということがわかったものですから、公務員試験が終わった後、迷わず通商産業省の面接を受けに行ったんですね。「なんで来たんだ?」と言われますから、「電車の中でこういう人に会って、その人に強く勧められたから来たんだ」という話をしたら、2年上だというからすぐわかりました。しかも私は広島で、「来い来い」と言った人は岩国出身の人で、これが私にとって3人目の、私の人生を決めようという時に非常に転機になった人だと思うんです。

両親と、小学校の担任の先生と、電車の中で会った通産省の2年先輩が、私の人生の大事なところをみんな決めてくれたというか、アドバイスをしてくれた人たちだと思っております。

当時の日本の状態というのは、今の国連なんかの定義でいきますと、1人あたりのGDPは最貧国のランクに入るような状態でした。通産省に入りましたのは昭和32年ですから、この最貧国状態の日本が、アメリカにいく前にまずはヨーロッパ並になるにはどうしたらいいのかということを皆で議論を戦わせていた時代だったんです。それで池田内閣ができました時に、所得倍増計画――選挙の時には「10年間で月給を倍増する」と言っていたんですけど、池田内閣は選挙に勝って、政策ということできちんとした名前で「所得倍増」という計画になったんですね。私はその後日本の政治とか政策の中に巻き込まれながらやってまいりましたけれども、10年間の計画あるいは将来展望というものを提案をして、選挙を戦って、選挙に勝った後、実際にそれに合わせてやってきた時期は、その時しかなかったような気がします。

 

<③に続く>

 

【「人生学」講義】第2回広島U-30応援セミナーより①