事務局便り
【「人生学」講義】第2回広島U-30応援セミナーより④
【「人生学」講義】第2回広島U-30応援セミナーより④
連載 ―「人生学」講義 第2回 ―
2017年11月22日(水)ひろしまブランドショップTAU3階で開催した第2回広島U-30応援セミナーの講義を連載でお届けいたします。
第2回目の講師は、一般財団法人機械システム振興協会会長・東京広島県人会副会長の児玉幸治氏(1934年生まれ。広島大学附属高等学校卒業、東京大学法学部卒業、通商産業省入省。同省事務次官、日本興業銀行顧問、商工組合中央金庫理事長、その他の役職を歴任)です。
「人生学」講義 第2回 児玉幸治氏 ④
あとは少し雑談的に話をさせていただきますけど、通産省におりました時に、所得倍増計画の時代で、当時一番気にしながら頑張ったのが、ちょっと景気がよくなりますと、みんな必要な資材とか輸入するものですから、すぐ貿易収支が赤字になる。赤字になると経済を締めないと支払いの金が出てこないということになりますから、ストップ・アンド・ゴー的な経済政策にならざるをえない。それから脱却したい、と。そのためには輸出競争力をつけて、日本からいい品物をどんどん輸出していかなくちゃいけないのが戦略だったわけです。
これが10年もしないうちに、黒字定着国に変わっていったんですね。それはやはり日本の国民がそれだけ頑張ったからできたことではあるんですけど、黒字国になってみると、今度は為替レートを動かさないといけないというふうに変わってくるんですね。我々がやってました所得倍増計画の時代は、1ドルが360円という時代だったんですけど、黒字がたまりますと、為替を切り上げざるをえなくなってくるわけで、360円が280円になったり、一番ひどい時は160円ぐらいまで円高になったこともあるんですけど、非常に変動するようになりました。
それが今や我々の日常の普通の状態だということになっていったわけで、新聞をご覧になっても今日の為替レートなんていうのが出てくるわけで、その中で暮らしているということになってきているわけです。しかも黒字体質というのは、為替がどんどん動いているわけですけど、最近けっこう貿易収支黒字ですよね。日本の物が非常に品質がいいし評価もされてどんどん出ておりますから、特に機械の類、自動車の類というのは依然として輸出されて、黒字になっています。
これを国際収支全体で見ますと、昔と違っているところは何かというと、企業がどんどん海外に出て、利益も上がるようになりましたから、資本取引とか、配当という形で日本に返ってくるお金というのがずいぶん増えてきた。そのことによって少々貿易の面で赤字だったり黒字だったり変動が大きかったとしても、所得収支の方でいざという時にカバーができるようにはなってきたということで、構造が変わってきたと思っております。
これが今の日本の置かれている状態なんですけど、そうなる前には実は日本とアメリカの間でかなり貿易摩擦が起きた時代がありました。その頃、私は通産省でちょうどそういう部署におりましたけど、一番最初に大きな問題になったのは、繊維なんですね。日本の繊維産業というのは非常に強くて、アメリカにどんどんどんどん輸出をして、その頃実は沖縄が日本に返ってくるという話が出てきまして、沖縄返還というのは実現したんですけど、同時にアメリカ向けの繊維の輸出を規制しなければならないということになって、日本の繊維産業はアメリカにそんな悪いことをしている覚えはない、アメリカの繊維産業を自分たちは潰してないんだ、ということで非常に抵抗があったんですけど、結局、ある程度の量に抑えていかなくちゃいけないということで、織機を国が買い上げたりして、供給量を抑えて、それでなんとか対応をしたというのが、最初のアメリカとの大きな貿易摩擦でした。今のは昭和47、8年頃、1970年代の初め頃の話ですね。
それから10年ぐらいたって80年代になりますと、自動車が問題になりました。これもアメリカの言い分は、我々実際に交渉をやっていた当事者からいうと、ずいぶん理不尽な話が多かったです。というのは、1977年頃、アメリカでも環境問題を非常に議論するようになって、自動車の排気ガス中の汚染物質をある量より以下に抑えようとしたのです。そうするとアメリカの車は当時だいたい大型の車が多かった。他方、日本の車は、日本でいえば大きいけれど、向こうの標準でいえば中型とか小型の車。日本の場合は、それでなくても環境問題というのは昭和40年代初めから厳しくなっていましたから、排気ガスの規制も日本では早くからやっていたんです。そういう車がアメリカに行ったものですから、アメリカの排気ガス基準を満たしていますから、アメリカの人たちもそういうのを買うのがけっこうカッコよかったんですね。今流にいえばスマートな感じだったわけですけど、それで日本の車はものすごく売れたわけなんですが、それで「けしからん」という話になりまして、アメリカ向けの自動車の輸出台数は年間168万台に抑えろと言われて、本当は大型車のマーケットと中小型の車のマーケットというのは必ずしも同じじゃないですから、日本が中型を売ったから大型が売れなくなったというわけじゃないんですけど、協力せざるをえないということになったんです。
しかし、面白いのはそういうことで規制をしますと、日本の企業は結局、アメリカにどんどん出ていきましたね。今、トランプがいろいろなことを日本に対して言ってる場合でも、日本の自動車メーカーはほとんど全部アメリカに工場を持ってますから、アメリカに対して大変な雇用の機会を作ってますから、それで十分に議論をして、相手に対して説得力のある話ができるようになってきているんです。ですから、規制が行われたということは、結果的には投資につながって、そのことによって日米両国の間がギスギスした関係でなくなってきたというのは、それはそれで非常によかったんじゃないかなというふうに思っております。
<⑤に続く>