事務局便り
【「人間万事塞翁が馬」講義】第4回広島U-30応援セミナーより⑤
連載 一 「人間万事塞翁が馬」講義 第4回 一
2019年11月29日(金)広島大学東京オフィスで開催した第4回広島U-30応援セミナーの講義を連載でお届けいたします。
第4回目の講師は、東京広島県人会副会長の三浦惺氏です。
【略歴】東京大学法学部卒業、電電公社入社後、東日本電信電話株式会社社長、日本電信電話株式会社社長、同社会長を歴任。
現在、日本電信電話株式会社特別顧問、株式会社広島銀行取締役、日本生命相互会社取締役
三浦副会長講演(「人間万事塞翁が馬」講義 最終回)
最後に50年の会社人生で特に印象に残っていることを2点話します。私は1999年にNTTベトナムの2代目の社長になったんです。ちょうどアジアの通貨危機の頃です。設備投資をして電話を付けて、その収入の約5割をもらって、15年でペイをさせるという事業です。ところが通貨危機で、投資はしても電話が売れないんです。電話って世界中で成長曲線的に成長して伸びていったから、それを前提に契約をしているんですけれども、投資をしても全く電話が売れない時代に、私が社長になったわけです。そこで、ベトナムのトップと何回交渉してもまとまらない。まして共産圏ですから共産党の意向もあるわけです。
最後にこれでまとまらなければ打ち切って、それまで投資した10億近い金は捨てると、腹をくくって交渉をしたら向こうも折れてくれました。加入電話の数が一定数まで来ないと収入はもらえない契約になっていたのですが、「じゃあ、NTTが参入してから売った電話だけじゃ足りないんだろうから、それ以前の電話も足してやる」と。そうすると、収入が入ってくるレベルまでの数になるんです。
日本人同士でもそうだけれども、外国でもやっぱり腹をくくると通じるもんだねと。逆にえらく気に入ってくれて、その後、大臣になりましたけれども、首相の電気通信の顧問になってくれと言われるぐらい親しくなって、今でも付き合っているんです。
もう一つは、10万人合理化です。1999年にNTTを再編成して、私はNTT東日本の副社長になったわけです。固定電話は、その頃はもう携帯電話にどんどん変わっていきました。アメリカがATTを分割して7つの地域会社と長距離会社に分けたけれども、その頃には合併が始まっている時だったんです。そんな時代でしたが、妥協の産物で持株会社の下に長距離会社と東西の地域会社に再編しました。しかし、固定電話はどんどん減っていく。六千数百万あったのに、今では2,000万を切って、千数百万ですけれどもね。もうとても食ってはいけない。経費も節約するけれども、それだけではもう間に合わないということで、さらにコストを下げなきゃいかん。コストの大半が人件費でしたから。東西に10万人がいましたが、その人たちに地域別の給与体系を導入しました。東京と地方の給与が同じというのはいかがなものかという声が社内にもあった。かといって東京を上げると横浜の人が黙っていないんだよね。東京から横浜に通っているのもいるから、横浜から東京に通っているのもいるから。そうすると、横浜が上がれば、さらに藤沢だ何だ。地域手当がだんだん広がっていくんですよ。永遠の課題だったんだけれども、結局どうしたかというと、県単位の会社をつくって給与に差をつけるが、その代わり全国への転勤はしなくてよいということにしました。
さらに、65歳までの雇用を認めると。だから少し給料は下がるけれども、雇用延長と転勤はないよと。そういう仕組みについて組合とも徹底的に議論しました。この時、僕は組合にも言ったし、社内にも言ったのは、今やっておかなきゃ、どっちにしてもこのままいったら収入は落ちてくるんだから、どこかでやらなきゃいけない。赤字になってからやったら、社員に何倍もの苦労を掛けるし、組合にも、2年、3年たって赤字になってから合理化の議論をしたら、もっと厳しい提案をせざるを得ないからということで議論をしました。
だから、これは自分のことでもそうだけれども、今やらなきゃいかんことでも、どうしても面白くないこと、あるいは苦痛なことほどやらずに後へ送りたい。しかし、延ばせば延ばすほどもっと苦労しなきゃいかんと。だから、大変なことこそ早くやるべきというのが私の確信です。
もう3、4は当たり前のことです。3で言えば、最近言っているのは、変化に対する柔軟性・スピード感が大切だと。話す力、コミュニケーション力というのは本当に大事だと思います。特に部下なんかを持ったときには、そういうふうに心掛けてください。
最後に皆さんに頭に入れておいてほしい点を私の好きな先人の言葉を紹介します。いわゆる異業種の人を含めて、積極的に付き合うということをお勧めするのと、歴史に親しんでおくというのは非常に大事なことのような気がします。部下を持ったときにはこの山本五十六の言葉を思い出してください。僕はこれに尽きると思っています。部下に対するあれというのは。この「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、誉めてやらねば人は動かじ。話し合い、耳を傾け承認し、任せてやらねば人は育たず」。部下を持ったときにはこれを思い出してください。それから、4ページにあった平櫛田中は、岡山の井原の出身です。福山に養子に行って107歳まで生きたんです。彼のもっと有名なものは、「60、70、鼻たれ小僧、男盛りは100から100から」と言って、彼は107歳まで生きて、100歳越えても彫刻をしていた。私の好きな言葉というのはこれでございます。
吉藤:ありがとうございます。
三浦:すみません。ちょっと早く終わろうと思いながら、若干。
吉藤:三浦副会長、ありがとうございました(拍手)。ありがとうございます。質問の機会というよりは、第2部もございますので、そちらで三浦副会長とコミュニケーションしていただければと思います。それでは、第1部については、これで終了したいと思いますので、いま一度、三浦副会長に拍手をお願いいたします(拍手)。
三浦:すみません、大した話ができなくて。
吉藤:三浦副会長ありがとうございました。